似てるといえば似てる二冊

 昨年10月くらいに一緒に買って、一冊はすぐに読みきったけどもう一冊は体調不良も手伝って、先日ようやく読了しました。

 

ボクの彼女は発達障害』くらげ著

統合失調症がやってきた』ハウス加賀谷 松本キック

 

 先に読み終わったのはボクカノのほう。コミックエッセイだったので、まあ分量としてはそうなかったからかな、早く読み終えられたのは。

 ボクカノを読み終えてすぐにやってきたに取り掛かったのだけど、私も統合失調症患者でして書かれてることでフィードバック起こしちゃって、さらに以前に書いたように体調不良で文字読むのがつらくて。

 

 今日もあまり気力が残ってないからさくさく結論に行きますけれども、寄り添ってくれる人が一人いると、それだけで心強いな、なんてことを読みながら感じていました。

 自立って、一人で生きていくことじゃないんですよ。人に助けを求めることができること、これが自立ってことなんじゃないかな、なんて考えています。

 ほとんどの人は何かをしようとしたら社会と関わらなきゃいけない。社会っていうのは別に「不特定多数」とか「世間一般」っていう意味じゃなくて、うーん、「家族じゃない人」とかそのくらいの意味で。

 で、社会的弱者がダイレクトに社会に関わるのは大変なんですよ。ほんとすごく。まあ弱みを振りかざして無差別攻撃してる人も見かけますけど、それはそれで関わり方自体がわからないんじゃないかななんて思うこともあります。

 それで、ダイレクトに社会に関わるのはすごく大変なんですが、寄り添ってくれる人が身近に一人いて、緩衝材というか通訳というか、そういうことを自然としてくれたら、まず孤独じゃないし、社会にも関わっていきやすかったりもするんですよね。

 わざわざ「そういうことを自然と」って置いたのは、最初からその役割を見込んで傍にいてもらうってのは違うよね、とぼんやり思ってるから。

 

 ボクカノでは、あおさんとくらげさんが恋人同士で、お互いに積極的に関わろうとしている。

 やってきたでは、加賀谷さんとキックさん、お互いに芸人として一緒にやりたいって思っている。

 そういうね、自発的な、動機がある状態っていうのが、この二冊の二例ではいい方向に働いたかなって思います。

 

 翻って私はどうかってなりますと、ツレがいないと何にもできない感じで、でもツレも私のことを必要としてくれているらしくて、たぶんお互いに不満もあるんだろうけれどまあうまくいってるのかなあ、と思います。