手段としてのカキモノ
ツイッターで毎日何かしら呟いてて、ブログをここと創作用ともってて、私にとって書くことは発散の一手段だ。
私はすごく短気である。知ってる人もいるだろう。
で、短気なのに口が回らない。喋るのに頭も口もついていかない。これは正直コンプレックスだ。口喧嘩したら十中八九負ける。
あんまり信じてもらえないかもしれないけれど、私は普段、わりと無口な方だ。というか、喋ることさえ面倒に感じてしまう。滑舌も悪くて、口も頭も喋りたいペースについていかないから、声に出して喋るということは私にとってとてもとてもハードルが高い。
私はわりとすぐ機嫌が急上昇急降下する。気分障害も併発してるんじゃないかってくらい。短気なのも合わせて、いきなりブチッとキレる。ことがある。いや、ことがある、と表記するには頻度が高い。
私のキレ方は、子供の癇癪と同じだなあ、なんてことを、今日の退勤中に考えていた。
気持ちの中に生まれた「不快」「怒り」、そういうものをうまく口に出せない。
→イライラが募る。
→ブチッ。
ブチッとなるとどうなるかっていうと、物に当たる。奇声(本人は大声で喋ってるつもり)を上げたりもする。たぶん、こういうのってヒステリーっていうんですよね。
この状況を説明すると、
「伝えたいことがある。それもたくさん。だけど、どこから話したらいいのかわからないし、そもそもどういう言葉にすればいいのかわからない。しかも興奮していて思考がまとまらない」
こんな感じです。
相手にも苛立ってるけど、それを言葉に表現できない自分にも苛立っているのです。だから物に当たる。
ちなみにこれやると、直後に全身脱力して、ふらふらになります。頭もボーっとする。機械で言うところの熱暴走みたいなものかも。
なので、ヒステリーをそう頻繁に起こすわけには行かないんですよ。
私は、カキモノという手段を得ました。
主にPCで書きます。ディスプレイを見ながらキーボードをバシバシ叩きます。口で喋るのと違って、書いたことが目に入って確認でき、適宜修正もでき、そして口よりもスムースに動く手で言葉を紡ぐことができるので、私は思ったことを言語化できるようになりました。
いや、言語化できるように、というより、言語化しやすくなったというべきか。
とにかく、口で喋るよりもぐっとハードルが下がったのです。
怒ったり、不機嫌になったり、そういうとき、私はカキモノで発散します。
人に見せるものとして書いていることもあるし、人には見せず、PCに眠らせるだけのために書くこともあります。
発散する手段を持てて、本当に良かったと思います。
物に当たると書きましたが、実のところその「物」は私の体であることも多いです。要するに自傷。なくなるまでにはなっていませんが、必死でキーボードを叩く日々で、いくらか減っています。短気なのは治らないにしても、穏やかな日々が少しでも長く続けばいいなと思います。
念のために書いておきますが、このエントリは私の「自分語り」であり、カキモノをするといいよと勧める記事ではありませんのでご了承ください。